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2006年6月9日

カルティエの創業者とその子孫たちのお話

「お砂糖は脳のエネルギー源」ということで、この番組では毎月1回
頭脳明晰で、歴史に名を残した人物を紹介しています。

今日は、カルティエの創業者と、その子孫たちにスポットを当ててみましょう。

カルティエの創設者「ルイ=フランソワ・カルティエ」は、1819年に誕生しました。
若かりし頃の彼は、宝石商のアドルフ・ピカエールの元で、宝石について学びます。
カルティエの創設年とされている1847年、カルティエは、
ピカエールからパリのアトリエを譲り受け、このアトリエが
カルティエ・メゾンの偉大な歴史の第一歩となりました。

そして、カルティエメゾンは、息子アルフレッド、
そして、アルフレッドの3人の息子へと受け継がれて行きます。

アルフレッドは、3人の息子、「ルイ」「ピエール」「ジャック」に
カルティエの成長を託し、それぞれに、
パリ、ロンドン、ニューヨークという3大都市のショップを任せます。
三人の息子・・・、毛利元就の三本の矢を思い出しますね。

さて、なかでもパリに残り、カルティエの基盤を支えた長男のルイは、
その才覚をいかんなく発揮し、カルティエの発展に、大きく貢献します。
パリ、ロンドン、ニューヨークの3都市で
世界的な宝石ブランドとして躍進したカルティエは、
イギリス国王エドワード7世をして
「王の宝石商、宝石商の王」と言わしめるまでに成長します。
素晴らしい~!!

そんな中、ルイは親交のあった飛行家アルベルト・サントスから
「フライト中に、操縦桿から手を離さずに、
 時間を確かめる時計が欲しいんだけど」と相談されます。

当時、男性が持っているのは、懐中時計が一般的でした。
そこで、ルイは、高名な時計職人エドモンド・ジャガーの手を借りて、
腕時計のコレクションを誕生させます。
この、カルティエ最初の時計は、「サントス」と名づけられました。
「サントス」が世界ではじめて成功をおさめた、紳士用腕時計とも言われています。

また、カルティエといえば、数々の有名な指輪も忘れてなりませんね。
特に、三連のゴールドリングは、一時日本中の女性が熱狂したほど人気を博したリングです。
でもこのリング、女性のために作られたのではないんですね。

リングの名前は、「トリニティ・リング(TRINITYRING)」です。
このリングは、詩人であり、映画監督としても名作を残した
「ジャン・コクトー」のためにつくられたそうです。

トリニティは、3代目ルイ・カルティエの友人のジャン・コクトーが、
カルティエに注文を出した事がキッカケで生まれました。
トリニティは三位一体という意味の言葉。
「愛」「友情」「忠誠」をイメージして、
ピンク(愛)、ホワイト(友情)、イエロー(忠誠)の3色のゴールドを使い
3本の指輪が重なり合い1つの指輪になったという、
それまでにない斬新なデザインの指輪をこの世に生み出しました。

そして、もう一つ、ラブリング(LOVERING)も有名ですね。
永遠の愛をモチーフに、男性から女性への贈り物としてデザインされたのがラブリング。
当初はブレスレットの方は、そのテーマを貫く為に
「自分用に買うというお客様からの購入は断っていた!!」というほどのこだわりよう。
それが却って功を奏したのか、逆に人気に火がついたというエピソードを持ってます。
戦略勝ちですね。

日本ではもう離婚してしまいましたが、
安室奈美恵&SAM夫妻の結婚会見の時に結婚指輪として
披露された事で一躍有名になったのが、このリング。
愛を誓い合うカップルの中での定番となりました。
ただそのブームの火をつけたカップルは、
もう別れてしまったというのが複雑な心境ですが・・・。

カルティエのジュエリーの完成度の高さは、
世界を魅了し何カ国も王室御用達になっていますね。
2003年に、東京銀座にオープンした世界最大規模の
「カルティエショップ」を覗いてみると
贅沢な気持ちが味わえそうですよね。

では、また来週!


  
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