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2007年11月9日

大福餅のお話

「ラブラブ」や、「うざい」「逆切れ」などの若者言葉が
岩波書店の国語辞典かの「広辞苑」に収録されることになったそうですね!!
「まじで?!」と、思わず若者言葉になってしまう今日この頃です・・・。

来年1月刊行ということなんですが、新しい言葉の中にはこの他に
「内部告発」「イラク戦争」「ニート」など、
時代を映す言葉も含まれているそうです。
一時の流行にとどまらず、人々に間に定着したと認められるものを
厳選したとの事でしたが、あと何年・・、何十年使われ続ける言葉なのか、
疑問に思わないこともありません。

ともあれ、言葉は時代と共に変化し続けてゆくものだと、改めて実感しました。

さて、今日は、昔々は「うずら餅」と呼ばれていた「大福餅」のお話です。

今でいう大福は、古くは丸くてふっくらした形がうずらに
似ていることから「鶉餅」と呼ばれていました。
また、鶉の腹がふくれていることと、大きくて腹持ちがいいことから
「腹太餅(はらぶともち)」とも呼ばれていたんです。

「鶉餅」「腹太餅」と呼ばれていた頃の大福は、大きく餡は
小豆に塩を加えただけのものでした。
今のように、餅に砂糖を入れて、小さくした腹太餅が作られたのは、
1771年、江戸時代の事です。江戸小石川に住む「お玉」という後家さんが、
考案したもので、彼女はこの「腹太餅」を小さく食べやすく
しかも、名前も「大福餅」に変えて売り出したところ、
瞬く間に江戸っ子たちに大人気となったんです。

「甘くておいしくて、食べやすい!」「しかも、大きな福が来る餅ときたもんでい!」
とかなんとか言ったんでしょうね、江戸っ子ですから。
当時の読み物によると、中身は黒砂糖が使われていたようです。

また、寛政の頃には、夜に大福餅を売り歩く事が流行し、寒い冬には、
火鉢で焼いた「焼き大福」が人気だったそうですよ。

まず、鍋の中に火鉢をセット。その上にお餅を並べれば、たちまちあつあつに!
お客さんたちが、ハフハフいいながら、あっつあつのお餅を頬張って、
冷えた身体を温める様子が目に浮かびますね!

ところで、寛政の時代、寒い冬に焼き大福と同じように
流行ったものといえば、「焼きいも」なんだそうです。

江戸時代「焼きいも」は八里半といわれていました。
何故八里半か?!
栗(九里)に似た味でありながら、栗より少し劣る。
九里より少し劣るから八里半・・・。
なるほど・・・。

因みに、上方では、栗より味が良いと、
「焼きいも」は「十三里」と呼ばれていたそうです。
一気に四里も格上げして「十三里!」
上方は随分と「焼きいも」びいきですね。

江戸っ子の心をしっかり捉えた「焼きいも屋」は瞬く間に増え
材料の芋を供給する問屋組合も、他の野菜とは一線画した
独立した大組合になっていったんだそうです。

ところが、皮肉なことにこの焼きいもの大流行で、食べすぎで肥満に
なってしまう人も増えたのだとか。
江戸時代は、貧しく質素な暮らしで、肥満とは無縁と思っていましたが、
その頃から、メタボなお方はいたわけですね・・・。

私も食べすぎに注意しよっと。

では、また来週!


  
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