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[過去の放送]

2006年7月7日

バカラのお話

砂糖は脳のエネルギー源とうことで、この番組では毎月一回
頭脳明晰で後世に名を残した人物にスポットを当てています。

今日は、高級ガラスの代名詞ともいえる「バカラ」を作った
お坊さんをピックアップします。

ある女優さんが
「毎日飲む水こそ、良い器で飲みたい。
 だから、バカラのグラスでお水を飲んでいるの」
という話をされていました。

バカラで飲むお水は、高級な香りと味わいが楽しめそうな気がしますね。

ところで、このバカラとうのは、一般のブランド名のように
人の名前とったものではありません。
バカラは、村の名前なんです!

バカラ村は、フランスのパリから東へ400キロメートル。
元々は、ロレーヌ地方南部の寒村でした。

ここへ、ガラス工場を誘致したのは、
モンモレンシー・ラバルとういう司教、
つまりお坊さんだったんです。

18世紀のこと、ラバル司教は、フランス東部ロレーヌ地方の
統治者だったのですが、その頃のフランスは度重なる戦争で
疲れ果てていた上、元気の良い外国製品が、
どんどん流れ込んできていました。

町や村には、失業者があふれ、
貧しい生活にあえぐ人が増えるばかりだったんです。

そこでラバル司教は、国王15世に請願書を書き送ったんですね。

その書面には、
「大量にボヘミア地方のガラス製品が流れ込んでくるのは
 これに対抗できるガラス工場が、わが国にないためです。
 何卒、ガラスの製造工場を建設することをお許しください。」
そう、記されていました。

この願いはすぐに認められ、
1764年、バカラ村にガラス工場が出来上がります。
最初のうちこそ普通のガラス製品でしたが、
それから43年後、バカラの名を、高級ガラスの代名詞に
押し上げることになる「クリスタル」が誕生します。

クリスタルは、光の屈折率がガラスとか格段に違うため、
キラキラと美しく、また、グラスをぶつけた時の
あの"カーン"という素敵な音!
これがクリスタルの証ですよね。

そして、さらに、このバカラの地位を不動のものにした人物が現れます。
1817年、クリスタルに対し、強い理念を持つ経営者、
ピエール・A・ゴダール・デマレが出現します。

彼は「最高の素材と、最高の技術。
そして何よりも、その技術がいく世代にもわたって
受け継がれてゆくことが大切である」 と説きました。
至極当然のことですが、この当たり前の理念こそ
企業存続の要になったんですね。

伝統工芸ゆえに、お家芸は門外不出!一子相伝・・・、
なんて、ケチな考えはバカラにはありません。

バカラの工場には
「口吹き10年、カットに6年」という言葉が生きているそうです。

師匠から弟子にその高い技術が受け継がれていくかぎり
バカラの輝きは、未来永劫続いてゆくものなのでしょうね。

さて、では日本にバカラがやってきたのはいつ頃かといと、
明治時代のことなんだそうです。
親戚のヨーロッパ土産のバカラに、いたく感動したある茶人が
「是非バカラで、お茶の道具を作ってもらいたい!」
そう情熱を燃やし、自らデザインをおこし、
バカラに注文を出したんだそうです。

船便しかないこの時代に、大変な熱の入れようですね。
バカラは茶人によって、その美が認められ、
そこからこの極上の器は口コミで広がっていったんだそうです。

美しいものを愛で、その良さを見抜く力をもつ才人というのは
国籍、民族に関わらず存在するものなんですね。

では、また来週!


  
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