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2006年5月12日

夏目漱石のお話

この番組では、「砂糖は脳のエネルギー源」ということで
毎月一回、頭脳明晰で後世の名を残した人物にスポットを当てています。

今週は、名作「坊ちゃん」発表から今年がちょうど100年、
ゆかりの地“道後温泉”にも記念碑が建てられ、注目を集めている
「夏目漱石」をピックアップします。

『親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。・・・』で、
始まる坊ちゃんは、漱石自身が、松山で暮らした体験を元に書かれた小説です。

時代を越え、愛読し続けられているこの青春小説を書いた
漱石の生い立ちは、波乱に満ちたものでした。

1867年、漱石は、5男3女の末っ子として、江戸(今の東京新宿区)に生まれました。
母は、高齢で出産した上に、子沢山ということで、面目ないと恥じたそうです。
というわけで、漱石の誕生はあまり喜ばれませんでした。

漱石の本名は「夏目金之助」というのですが、この名は、漱石が生まれた日
この日に生まれた子は、大泥棒になるという迷信があったため
厄除けの意味で「金」の字が入れられたんですね。

生後すぐに、古道具屋さんに養子に出されるんですが
夜中まで、品物の隣に並んで寝ているのを見た姉が、不憫に思い実家に連れ戻しました。

しかし、1歳の時に、父親の友人の家にまた養子に出されてしまいます。
が、養父の浮気により、この夫婦が離婚。またも、実家に戻されることになります。

生まれた家に無事に戻ったものの、実父と養父の対立により
21歳まで夏目家への復籍が遅れるなど、漱石の幼少期はまさに波乱万丈でした。

そして、漱石22歳の時、運命的な出会いが待っていました。
漱石に文学的、人間的に大きな影響を与えることになる
“正岡子規”と出会うことになるんです。
子規が手がけた漢詩や句などの文集が、学友らの間で観覧された時に
漱石が、その批評を巻末に漢文で書いたことから、本格的な友情が始まります。
この時初めて、漱石という号を使ったんですね。

“漱石”とは、「流れにくちすすぎ流れに枕す」からとったもので、
負け惜しみの強いことの例えなんです。
この“漱石”は、当初正岡子規の数多いペンネームの一つでしたが、
夏目は、この名を子規から譲り受けます。
以来2人の友情は、1902年に子規が、脊椎カリエスで亡くなるまで続きます。

ところで、坊ちゃんと同じ1906年と同じ年に発表された「草枕」の冒頭をご存知ですか?

「智に働けば角がたつ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ」
コレが、冒頭です。

余談なんですが、私の大学時代の同級生で「草枕の冒頭をいえる人?」と教授に質問され、
ずばり、答えられた女の子がいたんですね!
後に、この子は、有名人気女性誌のエッセイコンテストで優勝し、
雑誌に彼女のエッセイが載った時には、やはり、名作の冒頭をいえる実力は、
生かされるものだと、つくづく思ったものです。

ところで、漱石は、大の手紙好きだったそうですね。
分かっているだけでも、その数2000通。
一日に20通書いたこともあったそうです。

手紙といっても、形式的な挨拶文などはほとんどなく
人と対話し、自分の考えや心を伝えるために、
長文にわたるものもあり、それ自体が文学だったようです。

手紙好きの歴史上の人物といえば、私は真っ先に“徳川家康”を思い出すのですが
家康は、手紙で、武将たちの心を動かし、味方につける手腕と
まめさがあったようですね。

「人の心を打つもの・・・、それは手紙なり・・・」といったところでしょうか。

では、また来週!


  
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