キリンビバレッジ presents 47のチカラ~私の別格~ 12:00~12:25 |
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あれって、何であんな飴が出来たのか?
そもそも、金太郎って何なのか?
では、今日は金太郎飴、不思議発見!!の旅にご案内しましょう。
一般的に妙なものは流行り廃りがハッキリしていますから
生まれては、消えというのが常識です。
そんな中、江戸時代から奇跡的に生き残ってきたのが、ご存知「金太郎飴」です。
この金太郎飴、どんな顔だったか思い出せますでしょうか?
よーく観察してみると、ふっとい眉毛に、意外にも長いまつげが
しっかり描かれていて芸の細かさが伺われます。
不機嫌そうな表情なのに、赤ら顔、このアンバランスなところが、
なんともユーモラスで親しみを覚えます。
この金太郎飴は、太巻き寿司のつくり方と同じ原理をお菓子に応用したものです。
江戸時代中期にかけて誕生したんですが、京都や、大阪で売られていました。
どこを切ってもお多福が出てくる、お多福飴をヒントに
江戸で売り出されたといわれています。
当時巷では、名物飴が登場しその一つが金太郎飴だったんですが
二年もたてば消えてゆく名物飴の中で、金太郎飴は、長きにわたり愛されてきました。
その理由というのは、もしかすると、金太郎には実在のモデルが
いるからなのかも知れません。
金太郎・・・、そのモデルは、本名、坂田公時(きんとき)。
平安時代に、足柄山の山の中で暮らしていた金太郎は、源頼光に見出され
坂田公時と名づけられ、京にのぼり、頼光四天王の一人として活躍しました。
中でも、丹波の国の大江山に住む酒呑童子(しゅてんどうじ)退治の
メンバーとしてその名が残っています。
その後、強い男の子金太郎の伝説が生まれ、
土着の雷信仰などが混ざり合い強い男の子金太郎伝説が生まれたわけですが、
その中に立身出世の物語が含まれていることはあまり知られていません。
さて皆さん、この金太郎飴が、かの天才パティシエ「ピエール・エルメ」も
「KINTAROAME」というネーミングで、まさしく金太郎飴を
発売しているのをご存知ですか!?
びっくりしたことに、なななななんと、金太郎の部分が、
ピエール・エルメの顔になっているんですっ!
何をするんだ・・、という飴ですが、微妙に可愛いです。
2003年に登場してこの飴、ついにパリ店にもお目見えしたとか。
いやぁ、恐るべし、金太郎飴。
ピエールエルメは世界屈指の天才パティシエですが、
彼のオリジナルブランド店第一号は東京赤坂にオープン。
当時、何故パリではなく東京に!と洋菓子業界に衝撃が走りました。
1998年のことです。
その後、2001年にパリにお店がオープン。
長蛇の列になってのは言うまでもありません。