2004年12月17日 17:31
心のこもったご褒美
「生きてく強さ」と描きたかった。
GLAYの随分古い曲のタイトルだけれど、、、。
今年のGLAY EXPOでTシャツをカラスの書で描きグッズとして販売しよう。となった時、すぐに浮かんだのがこのタイトルだったの。
まだ、GLAYにはミリオンもなければ、ライブだってドームなんて夢の夢。
そんな時代、カラスは電リクのヒットチャートを発表する番組を担当していた。
道産子の彼らは(HISASHIクンとJIROクンが)この番組を少年時代聴いててくれたというエピソードもありの番組だ。
そんなある日。
番組が始まってすぐの時間に息をきらして、当時のレコード会社のスタッフが
「GLAYの新曲、今、届いたばかりです!」と届けてくれた。
すると、ディレクターからは
「つぎの曲、変更。GLAYでいくよ」と指示がでた。
そして、流れて来た。
「生きてく強さを~」
聴いたとたん、カラスの中で、このフレーズを産み出した彼らは大丈夫!
って言う確信みたいなモノが生まれた。
それは、あの日のスタジオの絵が今でもハッキリ思い出せるほど強烈で大切なカラスの中での出来事。
その想いを込めて描きあげたのが、あのTシャツの文字です。
と言っても、限定で3000枚、お陰さまですでに完売。
いったい、何人の人が来年の札幌ドームライブ(2/5)に着てくれるのだろうか?
TAKUROクンは
「アンコールで俺達はあのTシャツでステージに立つから、
持ってる人は一緒にカラスさんを泣かせてやろう」
と呼び掛けてくれたのだが、、、。
身にあまる光栄とはこういう事なんだ。と生まれて初めて実感。
さらに、先ほど、知り合いのファンの方からと彼らの事務所からファンクラブのオフィシャルサイトにTAKUROくんがカラスの事を書いてくれてて、
北海道での「GLAYの母」ともいうべき女性です。
と形容して下さり、「書」につての感謝の気持ちを誠実に大切にファンの方達に伝えて下さっています。との知らせが入って、、、。
今、号泣して、少し落ち着きを取戻しここに書き込みが出来る状態にまで回復?ができました。
それくらい、心のこもった内容です。
メンバーズ限定のサイトなので、詳しい内容を書けないのが残念!
なが~~~く、しゃべってて、アーティストとこんなに信頼関係が生まれた事、それと同時にそのファンの方達ともしっかり繋がれたという事が仕事へのやりがいってもんだ!っと深く深く感謝しています。
もう、26年この仕事を続けています。
ただ一つ、常に思って来た事はアーティストが自らを解放し、産み出した愛情溢れる作品を私も愛を持って世に紹介しリスナーの心の中にもその愛を育ててもらう架け橋になる事が私にできる事。って事なんだ。
自分なりに誠実にそれを実行してきたら、やっぱり心ある人達の心にはしっかり伝わったって言う御褒美をいただけたんだ。と思う。
GLAYのメンバー、ファンのみなさんはもちろんの事、
彼らの詩と書くと言う事を結び付けて下さったすべてのみなさんに感謝します。
本当に本当にありがとう。
そして、100才まで生きてもっともっと凄いしゃべりをしながら描く人になっていきます。
2004年12月17日 0:06
心のこもったご褒美
「生きてく強さ」と描きたかった。
GLAYの随分古い曲のタイトルだけれど、、、。
今年のGLAY EXPOでTシャツをカラスの書で描きグッズとして販売しよう。となった時、すぐに浮かんだのがこのタイトルだったの。
まだ、GLAYにはミリオンもなければ、ライブだってドームなんて夢の夢。
そんな時代、カラスは電リクのヒットチャートを発表する番組を担当していた。
道産子の彼らは(HISASHIクンとJIROクンが)この番組を少年時代聴いててくれたというエピソードもありの番組だ。
そんなある日。
番組が始まってすぐの時間に息をきらして、当時のレコード会社のスタッフが
「GLAYの新曲、今、届いたばかりです!」と届けてくれた。
すると、ディレクターからは
「つぎの曲、変更。GLAYでいくよ」と指示がでた。
そして、流れて来た。
「生きてく強さは~」
聴いたとたん、カラスの中で、このフレーズを産み出した彼らは大丈夫!
って言う確信みたいなモノが生まれた。
それは、あの日のスタジオの絵が今でもハッキリ思い出せるほど強烈で大切なカラスの中での出来事。
その想いを込めて描きあげたのが、あのTシャツの文字です。
と言っても、限定で3000枚、お陰さまですでに完売。
いったい、何人の人が来年の札幌ドームライブ(2/5)に着てくれるのだろうか?
TAKUROクンは
「アンコールで俺達はあのTシャツでステージに立つから、
持ってる人は一緒にカラスさんを泣かせてやろう」
と呼び掛けてくれたのだが、、、。
身にあまる光栄とはこういう事なんだ。と生まれて初めて実感。
さらに、先ほど、知り合いのファンの方からと彼らの事務所からファンクラブのオフィシャルサイトにTAKUROくんがカラスの事を書いてくれてて、
北海道での「GLAYの母」ともいうべき女性です。
と形容して下さり、「書」につての感謝の気持ちを誠実に大切にファンの方達に伝えて下さっています。との知らせが入って、、、。
今、号泣して、少し落ち着きを取戻しここに書き込みが出来る状態にまで回復?ができました。
それくらい、心のこもった内容です。
メンバーズ限定のサイトなので、詳しい内容を書けないのが残念!
なが~~~く、しゃべってて、アーティストとこんなに信頼関係が生まれた事、それと同時にそのファンの方達ともしっかり繋がれたという事が仕事へのやりがいってもんだ!っと深く深く感謝しています。
もう、26年この仕事を続けています。
ただ一つ、常に思って来た事はアーティストが自らを解放し、産み出した愛情溢れる作品を私も愛を持って世に紹介しリスナーの心の中にもその愛を育ててもらう架け橋になる事が私にできる事。って事なんだ。
自分なりに誠実にそれを実行してきたら、やっぱり心ある人達の心にはしっかり伝わったって言う御褒美をいただけたんだ。と思う。
GLAYのメンバー、ファンのみなさんはもちろんの事、
彼らの詩と書くと言う事を結び付けて下さったすべてのみなさんに感謝します。
本当に本当にありがとう。
そして、100才まで生きてもっともっと凄いしゃべりをしながら描く人になっていきます。
2004年12月1日 17:00
生きるって、、、。
「夫婦」というドラマ知ってる?
田村正和と黒木瞳が夫婦役を演じてるのだが、、、。
夫の浮気が勃発して、奥さんは出て行く。一旦は戻ったが、、、。
不倫相手とはすっぱり別れたし、これでスッキリ元サヤに、
とはいかないのだ。
必死に妻の気持ちを感じようとして、色々と考え、相手の立場にたって、
誠意ある態度と言葉を送る夫に対して、妻は、、。
「ごめんなさい。少し前なら、分かってくれたのね。
と思えたし、あなたを許し、感謝も出来たと思うけど、
今、私は気付いてしまったの。
これだと、私は何のために生きているのか分からない。
私は私自身の人生を歩んでいない。
ひたすら、あなたを支え、あなたの喜びが私の喜びだったけど、
それは私が生きている事にはならない。って気付いたの。」
みたいなニュアンスの事を告げるのだ、、、。
このドラマ、私、カラスよりも毎週、真剣に観ているのが、
小3の息子ミック。
さっきの、妻のセリフに
ミックは「あ~。こういう事をあの歌は唄っていたのかあ~。」
とつぶやく。
そして、ゆずの「命果てるまで」を唄い出した。
この歌の「生きているのに死んでる 死んでる人がいる」ってのが、
ずっと、疑問だったらしい。
それが、このドラマのやりとりを観て解決したらしいのだ。
う~ん。子供はすごいなあ。
生きてるのに死んでるみたいな生き方はしたくないけど、、、。
大人になるとこれが結構、難しいのだ。
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プロフィール
DJ KARASU
6月30日生まれ 蟹座 O型
雨竜町出身
フリーパーソナリティとして、AIR-G'では開局以来ずーっとお付き合いさせて頂いてます。
関連番組
カラスの巣箱
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あれから、そして....。
ラジオが出来る事....。
3月の番組は想い出がいっぱい。
the pillows山中さわおさんと。
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番組が始まってすぐの時間に息をきらして、当時のレコード会社のスタッフが
「GLAYの新曲、今、届いたばかりです!」と届けてくれた。
すると、ディレクターからは
「つぎの曲、変更。GLAYでいくよ」と指示がでた。
そして、流れて来た。
「生きてく強さを~」
聴いたとたん、カラスの中で、このフレーズを産み出した彼らは大丈夫!
って言う確信みたいなモノが生まれた。
それは、あの日のスタジオの絵が今でもハッキリ思い出せるほど強烈で大切なカラスの中での出来事。
その想いを込めて描きあげたのが、あのTシャツの文字です。
と言っても、限定で3000枚、お陰さまですでに完売。
いったい、何人の人が来年の札幌ドームライブ(2/5)に着てくれるのだろうか?
TAKUROクンは
「アンコールで俺達はあのTシャツでステージに立つから、
持ってる人は一緒にカラスさんを泣かせてやろう」
と呼び掛けてくれたのだが、、、。
身にあまる光栄とはこういう事なんだ。と生まれて初めて実感。
さらに、先ほど、知り合いのファンの方からと彼らの事務所からファンクラブのオフィシャルサイトにTAKUROくんがカラスの事を書いてくれてて、
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今、号泣して、少し落ち着きを取戻しここに書き込みが出来る状態にまで回復?ができました。
それくらい、心のこもった内容です。
メンバーズ限定のサイトなので、詳しい内容を書けないのが残念!
なが~~~く、しゃべってて、アーティストとこんなに信頼関係が生まれた事、それと同時にそのファンの方達ともしっかり繋がれたという事が仕事へのやりがいってもんだ!っと深く深く感謝しています。
もう、26年この仕事を続けています。
ただ一つ、常に思って来た事はアーティストが自らを解放し、産み出した愛情溢れる作品を私も愛を持って世に紹介しリスナーの心の中にもその愛を育ててもらう架け橋になる事が私にできる事。って事なんだ。
自分なりに誠実にそれを実行してきたら、やっぱり心ある人達の心にはしっかり伝わったって言う御褒美をいただけたんだ。と思う。
GLAYのメンバー、ファンのみなさんはもちろんの事、
彼らの詩と書くと言う事を結び付けて下さったすべてのみなさんに感謝します。
本当に本当にありがとう。
そして、100才まで生きてもっともっと凄いしゃべりをしながら描く人になっていきます。