2003年8月28日 17:33
書
父にいきなり「習字を習いなさい」と言われた。
小学校3年生になろうとしている春だった。なんでも、ご近所の息子さんが書いた『書』をとても気に入って、私もその先生から指導を受けるように話しをつけて来た。とやたら張り切っている。
でも、父の書を観る目は確かだったのかも知れない。
後にその方は大学の教授として『書』のご指導、研究をされているし、現在も書家としても有名な方です。
父はとっても文字にコンプレックスを持っていて、決して人前で字を書こうとしません。
それだけに子供には美しい文字を。と強く思っていたのでしょう。
さらに、彼の持論として
「女は頭が多少悪くても、器量が多少悪くても、文字さえきれいならなんとかなる」ってえのがある。
当たらずも遠うからず。って気がする、、、。
そんな訳でカラスと『書』との関係が始まった。
いざ、書いてみると、かなりの好成績!全国規模の組織で月に一度、進級検査があるのだが、常に全国で3人くらいしか選ばれない最高のランクにポジションを保っているのだ。
教本の表紙に選ばれるなんてザラ。
(あ~。今それを一つも手許に残していないのが、なんとも残念)
どのような方かは知らないのだが、いつも東京の「国分由美子」さんって方と一緒に名前が載ってたなあ。
先生も特別に期待をかけててくれて、中国に研究に行く度に筆や墨や本をお土産に買って来てくれるほどだった。当時、お弟子さんは100人を超えていたと思う。
その中で、一人だけえこひいきされててイイ気持ちだった。(嫌な奴!)
結局、23才くらいまで、ダラダラと「お習字」を続けていた。
一通りの書法は初見でも、理解し、すっと今でも書けると思う。
でも、あくまでも、カラスが出来る事は「お習字」なのだ。
文字に心や人生や個性を表現できない!
形にとらわれ自由に解き放たれた気持ちで描けない!
書道になっていない! お習字はもう、嫌だ!そう思って、筆を持つ時間が遠のいていった。
いずれ?老後?余裕が出来たら? いつか必ず再開したかった。いつ、、?いつ、、、?
そうしたら、急に今。今、無性に墨の香りが恋しくなって、音楽聴いてると文字が書きたくなったの!
そうだ!毎週聴いてる新譜の中から、生まれるインスピレーション。
アーティストにお会いした時、感じた言葉を『書』にして残しておこう。
そう思ったらいてもたってもいられず、書きなぐってた。
そして、ズーズーしくも発表の場が欲しくなっちゃって、、、。
ディレクターyasu4に相談。「芸術の秋にちなんで、週刊カラスに新ページを開きましょう」って事になって。
調子に乗ったら止まらないカラスはやれ、個展だ。出版だ。と手がつけられない程、妄想モードに突入しているのだ。
多分、yasu4がもう少し、暇になったらバビッとした芸術?のページが開設されると思うので、訪ねてみてね。
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プロフィール
DJ KARASU
6月30日生まれ 蟹座 O型
雨竜町出身
フリーパーソナリティとして、AIR-G'では開局以来ずーっとお付き合いさせて頂いてます。
関連番組
カラスの巣箱
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あれから、そして....。
ラジオが出来る事....。
3月の番組は想い出がいっぱい。
the pillows山中さわおさんと。
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でも、父の書を観る目は確かだったのかも知れない。
後にその方は大学の教授として『書』のご指導、研究をされているし、現在も書家としても有名な方です。
父はとっても文字にコンプレックスを持っていて、決して人前で字を書こうとしません。
それだけに子供には美しい文字を。と強く思っていたのでしょう。
さらに、彼の持論として
「女は頭が多少悪くても、器量が多少悪くても、文字さえきれいならなんとかなる」ってえのがある。
当たらずも遠うからず。って気がする、、、。
そんな訳でカラスと『書』との関係が始まった。
いざ、書いてみると、かなりの好成績!全国規模の組織で月に一度、進級検査があるのだが、常に全国で3人くらいしか選ばれない最高のランクにポジションを保っているのだ。
教本の表紙に選ばれるなんてザラ。
(あ~。今それを一つも手許に残していないのが、なんとも残念)
どのような方かは知らないのだが、いつも東京の「国分由美子」さんって方と一緒に名前が載ってたなあ。
先生も特別に期待をかけててくれて、中国に研究に行く度に筆や墨や本をお土産に買って来てくれるほどだった。当時、お弟子さんは100人を超えていたと思う。
その中で、一人だけえこひいきされててイイ気持ちだった。(嫌な奴!)
結局、23才くらいまで、ダラダラと「お習字」を続けていた。
一通りの書法は初見でも、理解し、すっと今でも書けると思う。
でも、あくまでも、カラスが出来る事は「お習字」なのだ。
文字に心や人生や個性を表現できない!
形にとらわれ自由に解き放たれた気持ちで描けない!
書道になっていない! お習字はもう、嫌だ!そう思って、筆を持つ時間が遠のいていった。
いずれ?老後?余裕が出来たら? いつか必ず再開したかった。いつ、、?いつ、、、?
そうしたら、急に今。今、無性に墨の香りが恋しくなって、音楽聴いてると文字が書きたくなったの!
そうだ!毎週聴いてる新譜の中から、生まれるインスピレーション。
アーティストにお会いした時、感じた言葉を『書』にして残しておこう。
そう思ったらいてもたってもいられず、書きなぐってた。
そして、ズーズーしくも発表の場が欲しくなっちゃって、、、。
ディレクターyasu4に相談。「芸術の秋にちなんで、週刊カラスに新ページを開きましょう」って事になって。
調子に乗ったら止まらないカラスはやれ、個展だ。出版だ。と手がつけられない程、妄想モードに突入しているのだ。
多分、yasu4がもう少し、暇になったらバビッとした芸術?のページが開設されると思うので、訪ねてみてね。