2002年6月27日 13:19
はじめの一歩。(2)
(1からのつづき)
確かに、長渕さんのデビュー当時のスタッフは熱かった。
無名の新人だった彼を「とにかく一度、聴いてみて、自信があるんだ。」と言って強力にアピールしてきた。
その熱意に打たれてカラスも「まず、聴いてみるか?」と思ったのが始まりだったと言ってもいいくらいだ。
それは、まさに社長である後藤氏の熱意でもあったのでしょう。
後にこの後藤氏が札幌にいらっしゃった時にはご挨拶をかねて色々な関係者を訪ねたこともあるのだが、その時、ただの長渕好きのなんの力もないDJの私のことを聞き付けて、
「ぜひ、お会いしたかった。これからもよろしくお願いします」と
ご自分の名刺に書き込んで置いて下さった方だ。それも過去、2回もだ。
これは、長渕さんを本当に大切に思い、彼を支えるよき理解者である証のように感じた。
その後藤氏が「剛、次ぎはベスト盤だ」と言って泣いたそうだ。
レコード会社の苦しい諸事情にはこのCDのセールスが必要だった。
たとえアーティストが今、望まないCDでもだ。
だからこそ、長渕さんはその涙に報いたい。とリリースを決めた。
この男達が過去の作品全てにもう一度、向き合って吟味して選んだ53曲。
つくり方も意味合いも、ただのベストとは違っているのだ。
だからって、リスナーが心して聴いてくれ。とも思ってないし、その違いを押し付ける気も無いのだが、、。
ただ、この番組のリスナーにも知っててもらいたかっただけ、、。
長渕さんは今年、デビューから25周年です。
この、25年の作品達をふりかえる事。実は、カラスの25年をふりかえる事にもなります。
カラスは彼が「巡恋歌」でデビューした年から、ラジオDJを始めたのです。
この2枚のCDの選曲で『風』と『空』としてギター一本のライブをしてくれないかなあ。とカラスは期待してるんだけど、、。
今の長渕さんは私達の前にそんな形では立ってくれないだろうなあ。とも感じています。
さあって、ここまで、カラスの独り言に付き合って下さったあなた。
「立派な長渕サポーターになれますよ」
まずはこの2枚のCDから、その一歩をクリアーして下さいませ。
2002年6月27日 13:17
はじめの一歩。(1)
ベストCD。
本当の事を言おう。カラスはもう、ベストCDを紹介する事にはうんざりしていた。
どんなくくりをしようが、少し目先を変えた企画を取り込もうが、アーティストの意志とは無関係にレコードメーカーのビジネスを優先させて発売しているものがほとんどだからだ。
はっきり言って儲ける為だけのリリース。
だから、長渕剛がベストCDを、しかも2枚組。『風』と『空』編に分けて53曲も一挙にリリースした事にはあまり興味はなかった。
過去にも彼が全く関わっていないだろう。と思われるメーカー主導のベストCDも何枚も出てるし。
いくら「自分自身が選んだ本当の自己ベストといえる作品集」と言われても、
その選曲は気になっても、カラスくらいの長渕サポーターになると全曲知ってるし、持ってる。
むしろ、興味がわいたのは、
何故、長渕さんが今、ベストCDをリリースしなければいけなかったのか?の本当の意味だった。
やはり、彼もベストCDのリリースには最初は否定的だったようだ。
では、どうして?
それは、彼が所属するレコード会社フオーライフ.ミュージック.エンターテインメン(前身はフオーライフレコード)が大変だからだ。
いや、それだけではまだ、彼はリリースをOKしなかったと思う。
その、会社の社長が後藤由多加氏だからだ。
彼は日本の歌謡界にフオーク、ロック、ニューミュージックで殴り込みをかけ、そして浸透させたパイオニア的人物である。
そして、長渕さんがデビューした時のオフィスの社長でもあり、長渕さんが一番つらく唄えなかった時にも手をさしのべてくれた人だ。
(つづく)
2002年6月18日 19:51
脱力
人間の欲望ってどこまでいけば充たされるのか?
にわかサポーターの私が「勝てた試合だったなあ」なんておこがましくも思っている。
日本VSトルコの試合が終わった直後の感想です。
いや、素晴らしいじゃないか!
ワールドカップがスタートした時、「一勝出来ればいいんじゃないかなあ。」と思っていたじゃないか!
勝ち点一をあげた時、「これで終わっても満足だあ」と言って部屋中犬と一緒に駆け回って喜んだじゃないか!
ロシアに勝った時、静かな感動の涙を流し、チュニジアに勝った時は勝利の瞬間の3分前から号泣し、TGIFにも飛び入り出演し騒ぎまくったじゃないか!
こんなに熱い感動をプレゼントしてくれた日本代表に、私はさらに何かを求め続けるいやらしい奴だ!
どうして言えないのだ!
みなさん!本当に凄かった!お疲れさま!ありがとう。と、、。
ああああ~。くやしい~。と、まだ、のたうちまわる『にわかサポーター』のカラスです。
この、悔しさこそが4年後の力になるのだ!
4年後、カラスはドイツに行くぞ!!本物のサポーターとして。
明日からはイングランドの応援だ~。これぞ立派な『にわかサポーター』の姿だ。
2002年6月11日 11:47
ベッカムくん?
入院経験のある人、医療関係にどんな分野でも従事してる人、さらにはプレママさん、出産直後の人、そのパートナーさん、いずれそうなるであろう皆さん。???
いったい誰に呼び掛けたいのか?分かんなくなったけど、、。
6月7日W杯イングランドVSアルゼンチン戦がこの札幌の地で行われた日、カラスの従姉妹が男の子を出産した。
とっても、仲良くしている従姉妹なので嬉しくって、しかも、男の子だから、名前は『ベッカム』にしろ!と言うために病院へと向かったのだ。
ところが、、。
そんな事、言える状態じゃないほど彼女はブルーになってた。
いわゆる「マタニティーブルー」
出産がかなり厳しかったので体調もすぐ戻らず、初めての経験でパニックになったのだろう。
出産経験者は良くその気持ちは分かる!エッヘン!
あの、宇多田ヒカルさんも婦人科系の病に見舞われた時、治療のため、ホルモンのバランスが崩れ精神的に不安定な状態だった。と伝えられたのでお若い方達も他人事じゃない。と感じた人もいるはず。
こんな、カラスでさえ、とうとう自宅の電話番号さえ、思い出せなくなる。というくらい出産直後は疲れもたまりブルーな状態に陥ったほどだ。
そんな時、私をある意味救ってくれたのは、助産婦さんでも、ドクターでも夫でもなく、身の回りのお世話や室内の清掃をしてくれていた年配のヘルパーさんだった。
骨盤が少しズレてて整形外科でもちょっと診てもらったほうがいいかもしれない。と言う助産婦さんの助言にも「今、目の前の子供の事だけで精一杯で、片時も離れる気にはなれません」なんてなっちゃってたカラスの、肩をそっと抱いて、そのヘルパーさんが
「私がちゃんと抱っこしててあげるから、診てもらっておいで」と言ってくれたの。
その時、フ~と肩の力が抜けて楽になれた気がしたんだよね。
そう、それなのにそれなのに退院の時もバタバタしちゃって、ちゃんとお礼も言えず、今となれば人の名前を覚えるのが半端じゃ無く苦手な私はお名前さえ忘れている始末。
でも、この人一倍生意気な口を持つ息子の成長の影にはあなたもいてくれた事は確かです。
身体が病んでいる時は間違い無く心も病みます。
そんな時、医療の現場に当たり前の『優しさ』があればどれほど癒される事か、、、。
あのヘルパーさんはきっと今日も新米ママさんをふんわりと包みこんでいることでしょう。
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プロフィール
DJ KARASU
6月30日生まれ 蟹座 O型
雨竜町出身
フリーパーソナリティとして、AIR-G'では開局以来ずーっとお付き合いさせて頂いてます。
関連番組
カラスの巣箱
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ラジオが出来る事....。
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the pillows山中さわおさんと。
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