soundWave ON AIR MUSIC

18:47 夏の夜 片平里菜

AIR-G'とは?

AIR-G'(FM HOKKAIDO)は、北海道で最初の民放FM STATIONです! 「AIR-G'」は、FM北海道のコミュニケーションネームです。

G'(Gee Greatの省略形)は、Gで始まるワードの省略形。 あなたはどんな言葉をイメージしますか?

SoundはImage、MusicはVisual 私たちは、airplayでこの共感の世界を広げていきます。

そして、「"Gee Great=なんて素敵・素晴らしいんだろう"と歓んでもらいたい」 そんな願いを込めたコミュニケーションネームが「AIR-G'」です。

 私たちの住む、ここ北海道には、まだまだ、知らない自然や文化、そして、歴史の魅力が一杯あると思いませんか。
知っているようで知らない「コト」や「モノ」の宝庫。まさに、北海道は宝島ですね。
 この番組は、毎週いろいろなキーワードについて、 北海道の自然が持つ魅力や不思議を
ゲストの方の お話を交えながら、楽しくゆったりとお送りするプログラムです。
 さて、今週はどんな宝物に出会えるでしょうか。 ぜひ、お聞きください。

  • 番組
  • ほっかいどう宝島

放送内容

2016/07/03 放送

 今週のキーワードは

<開拓使麦酒醸造所>。

国産ビールの歴史、その始まりを

「作家 / 北海道久成会顧問

田中和夫さん」にうかがいました。

 国内初の官営ビール工場

「開拓使麦酒醸造所」が

札幌にできてから今年で140年。

札幌の街とビールとの結びつきは

強いのですが、開拓使にはもともと、

札幌に麦酒醸造所を建てる

計画はありませんでした。

予定されていたのは東京の青山。

文明開化の花咲く明治時代、

日本の原料・日本人の手によって造る

国産ビールで近代化を図ろうというのが

政府・開拓使の方針。

先ずは東京の中心地でドンと示し、

成功したならば北海道に移す目論見だったのです。

 そんななか動き出したのが、

建設・事業責任者に任命された村橋久成。

イギリス留学、及び開拓使の役人として

七重村官園や屯田兵琴似村の区割り、

家屋建設などに当たった経験を持つ村橋は、

北海道の気候がイギリスやドイツなど

世界的なビール生産国に

よく似ているのを知っていました。
 開拓使が雇い入れた

醸造技師・中川清兵衛は、イギリスや

ドイツで学んだドイツ仕込みの職人。

冷製ビール(低温で時間をかけて

熟成させるドイツ式醸造)の製造には、

寒冷な札幌がまさに最適の地。

東京は適していないと察知したのです。

村橋は「北海道の農業振興が目的で

麦やホップを栽培し、それを原料に

ビールを造るのだから、醸造所は

最初から北海道にすべきだ。

北海道には建設用の木材も豊富にあり

気候もビール製造に適していて、

氷や雪がたくさんあるのも

都合がいい。」等と、既に決定していた

東京の官園内の建設予定地を

北海道に変更するよう黒田清隆に上申したのでした。

 明治8年12月、ようやく

村橋の提言は認められました。

その重大な決意は、国家機関である

開拓使の決定を覆し、札幌への

麦酒醸造所建設を実現させたのです。

当時の札幌は人口わずか2800人。

市場もなければ、インフラもない

荒涼たる原野・・・

「開拓使の使命は北海道の開拓にある。

ビール工場をつくることによって

様々な関連施設や交通、輸送手段などの

整備も必要になる。北海道の開拓に

はずみがつくというものだ・・・」と

いうのが村橋の考えでした。

また、北海道産の大麦とホップの

試験栽培にも挑戦します。

 開拓使麦酒醸造所の竣工は明治9年。

政府の承諾を得た8か月後には完成させ

すぐに仕込みに入っていたといいます。

葡萄酒醸造所や製糸場も同時に建設され

明治9年9月23日、合同で華々しく

開業式が行われました。

そこが現在のサッポロファクトリーです。

はじめての国産ビールは、

北海道の「冷製ビール」が売りでした。

 当時はビール専用のボトルはなく、

輸入ビールやワイン等の空き瓶を再利用。

ですから瓶の形もバラバラ・・・

栓はコルクだったため配送するのも大変!

大久保利通に喜び勇んで送ったビールが

届いた時には中身はなく

「全て噴き出て、無し」と電報が

返ってきたというエピソードも残されています。

 当時の日本人にとってのビールは

文明開化の象徴で、「ビールを飲めば文明人になる!」と

売れまくったといいます。

北海道と東京で奪い合いになるほど

北海道でも売れていたそう。

最初の生産能力は200石でしたが、

2年後にはその倍以上に。

また、明治15年の開拓使廃止後、

麦酒醸造所は農商務省所管となり、

明治19年には、新たに設置された

北海道庁に移管されます。

その時には1000石の生産量となっていたそう。

工場も大改造してレンガ造りの

素晴らしいものになっていました。

そして、同年11月、民間に

払い下げられることになります。

このお話の続きは、また来週・・・。

今週のプレゼントは、“ビールゼリーチョコレート””です。

番組の感想をそえて、7月9日(土)までに応募してください。

 

<ディレクターYの編集後悔記>

北海道庁から民間に払い下げられる時、

3つの条件を出したそうです。

生産数は700石を下がらないこと。

原料のホップや大麦は北海道産を使うこと。

大麦の買い上げ価格は、

東京・大阪・宮城の相場を参考にして

決めること…だったそうです。

最初に作られたビールは、

瓶に詰め込むのですが、

買い集めた形の異なる瓶に

詰め込んでいたそうです。

コルクが飛んでしまうのも

分かる気がします。

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